Jun 27, 2011
水の宅配は容易であるか。高いか
水の宅配便は、一般に販売されているミネラルウォーターよりも品質の良いものが多いです。しかし、1リットル当たりの価格は高くなっています。しかし、家まで宅配してもらえるのでサロガは、手間は少ないよね。また、温水と冷水がいつでも飲めるの面では原油価格の節約にもつながると考えています。メンテナンスコストもかかります、使用形態のライフスタイルによっては、水の宅配便はいいかもしれませんね。うちの子はアレルギー体質なので、"水"に関してはいろいろ気に書いている。水の宅配についての関心を持ち始めたのは、子供が生まれて、アレルギー症状が出始めてから。いろいろ知って行くと家にサーバーを置いて水の宅配をするところがたくさんいることから、浄水器を設置するよりも宅配業者に水を宅配するところのほうが一番安心して経済的だと思いました。
大震災とその後の余震、原発事故と相次ぐ災難で“メード・イン・ジャパン”が危機的状況に追い込まれている。放射能汚染の風評リスクは製造業にも拡大、被災による供給能力低下のすきに海外の代替品に取って代わられ、一度奪われたシェアを取り戻せない…。こんな最悪シナリオも現実味を帯びている。
福島第1原発事故は全世界で大きく報じられ、放射能汚染が日本の野菜や乳製品に及んだことから「日本の食品に対して世界は拒絶反応を示している」(食品担当アナリスト)。一部の日本産食品について米国では「輸入警戒」、中国が「輸入禁止」などの措置を取った。
こうした問題は食品にとどまらず、ドイツでは海運会社の間で東京港への寄港を回避する動きが出ている。また、欧州最大の港であるオランダ・ロッテルダム港では、原発事故後に日本を出港した全船舶に対し、放射能検査を実施することを明らかにした。
「今後、日本から輸出されるあらゆる製品、日本から出発したあらゆる船舶や飛行機、そして日本を旅立ったあらゆる人々に対して、放射能汚染という風評リスクが否定できない」と銀行系証券ストラテジストは指摘する。
さらに深刻なのは、地震や津波の影響で東北の生産拠点が被災したメーカーも多く、日本製の部品供給が止まってしまったことだ。米自動車大手GMやフランスのプジョー、フィンランドの携帯電話機大手ノキアなど、日本製部品を使う海外メーカーにも影響が及んでいる。
ここで問題となるのは、「生産態勢の復旧に時間がかかれば海外メーカーは代替製品を他国に求めることになる。こうした場合、一度供給が止まってしまった会社との取引は縮小され、新しく供給が始まった会社からの取引が優先することになるケースが多い。そして理由がなんであれ一度奪われたシェアは容易に取り戻すことができないのが現実」(外資系証券エコノミスト)という問題だ。
早急に事態収拾を行わないと問題は広がるばかりであり、「輸出依存型の構造である日本経済は非常に大きなダメージを被ることになる」(前出の銀行系証券ストラテジスト)と警鐘を鳴らしている。
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市の大部分が福島第1原発から半径30キロ圏内にある福島県南相馬市。支援物資や人手が届かず、市長が一時、「兵糧攻め的状況」と訴えたほどだったが、放射線量が福島市や郡山市より低いことから続々と市民が帰宅し、日常生活が戻りつつある。市内を歩くと「政府の決めたいい加減な退避指定が物資や捜索を遅れさせた」と憤りが渦巻いていた。(震災取材班)
原発から19キロ。避難指示が出た南相馬市原町区小浜。津波に襲われた集落は1階がえぐれた家屋や、がれきの山が延々と続く。「ひととおりの捜索は地元の消防団員がやった」(消防団関係者)というが、今月に入ってようやく防護服を着た福島県警の捜索が入った。継続的な捜索は行われず、惨状は震災直後の様子と変わっていない。
取材した13日午前、これだけの被害でも、がれきの撤去作業や捜索活動を行う人はだれ一人いない。強風のなか、ぐにゃぐにゃに曲がったガードレールがきしむ音しか聞こえなかった。
原発から約30キロの同市鹿島区に入ってようやく自衛隊員や消防団員の姿が見えた。宮崎・都城からきたという隊員は「足跡があったので表面上の捜索は行われたと思う。今はショベルカーで水路を作って田んぼの上にたまった海水を排出し、その後、積もった土砂を掘る捜索になる。まだ水深が1・5メートルのところもある」と説明。
別の隊員はがれきにまみれたアルバムなどを漁業用のかごに入れ、後から若い消防団員がかごの中を回収していく。「役場でまとめて持ち主に返すことにしている」(消防団員)。ここも震災から1カ月が経過しているとは思えない状況だ。
「結局、最初に南相馬の大部分が屋内退避にされたのが間違いだった。隣町の相馬市までは捜索や物資は届いていた。放射能は低いのに捜索も物資も来なかった」と50代の女性。憤りながら「この実情を伝えて!」と記者に迫ってきた。
市役所がある市中心部では商店が再開を始め、多くの市民が避難先から戻ってきている。「地震直後は1時間に2〜3台しか車が通らなかった。みんな原発が爆発すると思って逃げちゃったんだね」とは商店街のクリーニング店主(67)。
いまは1分に2〜3台の車が通り過ぎる。
「でも学校が開いてねぇから仕事にならん。福島市の弟から『避難してこないか』って言われたが、ここより放射能が高いところに行ってもね」と苦笑いを浮かべた。
居酒屋「村さ来原町店」の山寺明美さん(32)は「放射能は低いようだから」とマスクなしで店頭の焼きそばを売っていた。「12日から営業を再開したが結構、お客さんがきてくれた」と喜ぶ。
市中心部が活気を取り戻しつつある一方、目と鼻の先にある20キロ圏内に住む住民は、あの日からほとんど家に帰れていない。近くの原町第1小学校には約120人が避難している。
「病気を抱えているからあまり遠くに行きたくない」と横になりながら話す原慎八さん(79)は、「ここから車で10分ほどのところに家があるが、入っちゃならねぇってことで一度も帰ってない。服も着たきりスズメさ。ちゃんと調べて一軒一軒、『ここは大丈夫』『ここはダメだ』と立て札でも立ててほしいものだ」。先行きが見えない避難生活に皆、不満を募らせている。
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