Jun 23, 2011

姑の願いは、土壁の注文住宅

建築の三十年されている注文住宅。この家を建てる時に一番お金をかけないのは座敷。庭に面したカンヌ幅の廊下が両方の方向で。簡単ですが、床の間の幅は中。車も造られる。壁は、古風な土壁。建てた頃の土壁に比べて比較的であることがリフォームのときに現われた。すべてのことは、姑の希望を取り入れたものだが、問題は土壁。雨が降り続くと、座敷がフンゴンヒする。床の間版にはうっすらとカビが生えているものもあった。土壁が湿気を吸っているのではないか。せっかくの注文住宅、外観だけでなく、品質にもこだわりたい。
私は生まれた時からのような一戸建て住宅に住んでいたのですが、先日も、外壁がデモリオゴイトことで、外壁塗装を再度しています。もともと、特に特徴のない平凡な灰色一色だったのですが、母の希望、モスグリーンなどの色で置き換えられています。私は個人的には灰色の時にもそのように汚い感じていないので、もう一度聞いてときは、そのように関心なかったのですがいざ再びやっぱり良かったです。まるで新しい家のようでした。外壁塗装というプチリホムドかなと思っています。
 東日本大震災の影響で遅れていた春の褒章が14日閣議決定され、県内からは5人(うち女性2人)と1団体が受章した。発令は4月29日付。受章者は次のみなさん。(敬称略)
 ○…緑綬褒章…○
 下関点訳しるべの会 点訳奉仕団体=下関市
 ○…藍綬褒章…○
 相川一郎(83) 相清福祉会理事長=山口市▽菊谷和子(75) 保護司=田布施町▽古磯仁章(74) 元協同組合全国製粉協議会副会長=柳井市▽志賀武男(92) 元県自治会連合会理事=周南市▽近間純栄(63) 調停委員=同
 ★藍綬褒章
 ◇高齢者福祉に長年貢献−−社会福祉法人「相清福祉会」理事長・相川一郎さん(83)=山口市
 74年に山口市初の特別養護老人ホーム「梅光苑」を設立して37年。地域の高齢者福祉に貢献しての受章に「私などにもったいない」とはにかんだ。
 69年に鋳銭司地域で病院を開院した。往診したある日、農家で寝たきりの女性が、新聞紙を敷いた板の間に放置されている姿を見て衝撃を受けた。家族は農作業で忙しく、女性のおむつを替える余裕もない状態だった。
 「高齢者は地域のために努力した人たち。何とかしないと」。相川さんは弟や妹と協力して梅光苑を開設。高齢者の笑顔を増やしたいと走り続け、同市内で初めてデイサービスセンターやグループホームなども開き、家族の負担の軽減も図ってきた。
 40年前は厚生省も家庭での介護を重視していたが、時代とともに高齢者施設の重要性が認知されてきた。高齢化が進み、介護に関する課題は多いが、「人にやさしく。笑顔で入所者に接しなさい」と今も日々、後進を指導している。【吉川雄策】
 ★緑綬褒章
 ◇地道に視覚障害者支援−−下関点訳しるべの会
 受章の知らせに田中克美会長(63)は「本当に驚き。地道な活動を続けてきただけです」と、はにかんだ。
 会は1962年の結成。目が不自由な人からの依頼を受け、小説や取扱説明書、会報などを点字に翻訳してきた。その量は年間約3万〜4万ページにも上る。週1回、市身体障害者福祉センターで勉強会を開いたり、視覚障害者が参加するイベントの支援なども。現在42人が活動する。
 読書が好きな田中会長は「障害による情報への不平等をなくしたかった」と27年前に入会。今でこそ、パソコンに入力した情報が自動的に点字文章として印刷されるが、かつては点字板を使って1文字ずつ打ち出していた。
 ネットの文章を音声で伝えるパソコンなど、聴覚で得られる文字情報も増えた。しかし、愛甲琢哉副会長(70)は「『それでも点字を読みたい』という人がいる限り、活動を続けたい」。田中会長もまた「続けていくことが責任と考えています」と謙虚に語った。【尾垣和幸】
〔山口版〕

6月15日朝刊

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 ◇家族ら300人、拍手で出迎え
 東日本大震災で福島県内へ派遣され、行方不明者の捜索などにあたっていた陸上自衛隊第17普通科連隊(山口市、約700人)の約80人が14日、92日間の活動を終え、山口市に帰隊した。3月15日から続いていた同連隊の災害派遣はこれで終了した。これまで同連隊から被災地に一日最大で250人、延べ約2万人・車両約5000台が派遣されたという。
 同連隊は5月3日から、福島第1原発事故で立ち入りが規制されている福島県浪江町でも活動。線量計を持ち防護服で捜索にあたった。
 駐屯地では隊員や家族ら約300人が拍手で出迎えた。福島県須賀川市で行方不明の男児(1)の捜索活動にあたった斎藤達也2等陸尉(46)は「発見できなかったが、がれきの中から木箱に入ったへその緒を見つけた。家族から『これだけでも出てきてありがたい』と感謝されたことが今も心に残っている」と振り返った。
 同連隊長の森下喜久雄1等陸佐(50)は、「遺体を発見すると、2、3日は頭から離れずショックが大きかった。それでも、活動の行き帰りに被災者から手を振られ、声をかけられたことが何よりの励みになった」と語った。92日間で約10体の遺体を発見したという。【佐野格】
〔山口版〕

6月15日朝刊

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